近年高級時計を代表する国は間違いなくスイスですがドイツ時計も負けない実力を持っています。実はヨーロッパで時計技術がスイスに渡る前は科学技術が発展していたイギリスやフランスが代表的な時計生産国でありドイツも肩を並べていました。今ではドイツ時計といえばグラスヒュッテ(Glashütte)地域が最も有名です。
ドイツ東部のザクセン(Sachsen)州に属するグラスヒュッテはかつて銀の採掘で有名な鉱山地帯でした。しかし鉱山が枯渇し地域再生が困難になると時計産業を始めドイツを代表する時計の地へと完全に生まれ変わりました。

1873年 ドイツ グラスヒュッテ ランゲの家と付属工場 © Grail watch
ランゲ&ゾーネは銀鉱山が枯渇したグラスヒュッテ地域を再生させるため一人の男の努力から始まります。ザクセン公国の王立時計師だったフェルディナント・アドルフ・ランゲ(Ferdinand Adolph Lange)はグラスヒュッテを救うため時計工房を建て村の若者を雇いウォッチメイキング教育を兼ねて運営を始めます(1845年)。

フェルディナント・アドルフ・ランゲ (1815-1875) © Grail watch
初期には生産性が低く資金難に苦しむなど多くの困難がありましたが徐々に安定した軌道に乗ります。その背景には様々な要因がありますがヨーロッパで初めてメートル法を時計製造に適用しました。そのおかげで時計部品の寸法や計算が簡単になり測定誤差やミスが減りました。自然と精密さと作業効率が大きく向上しA.ランゲ&ゾーネが作る時計の品質が上がりました。ドイツを代表するハイエンド企業として地位を確立したランゲ&ゾーネでしたがその過程は決して順調ではありませんでした。二度の世界大戦の代償として敗戦後ドイツは東西に分断され共産主義陣営に属した東ドイツは国家の統制で全ての時計会社が統廃合を強いられます。ランゲ&ゾーネのようなハイエンド企業は共産主義体制下では維持できず国営時計会社に統合され輝きを失います。

1994年発表のランゲ&ゾーネの時計 © A.Lange & Soehne
さらに悪いことにランゲ&ゾーネの工場は戦争中に爆撃を受け一部が消失していました。ランゲ家の子孫であるヴァルター・ランゲ(Walter Lange)は西ドイツに移りましたが会社を再建するためグラスヒュッテに戻ります。
当時西ドイツVDOグループのラグジュアリーディビジョンLMH(Les Manufactures Horlogeres)でIWCやジャガー・ルクルトを運営していたCEOギュンター・ブリュムライン(Günter Blümlein)と出会い再建計画に着手します。しかし対立していた両陣営の冷戦が激化しその影響で東西ドイツを行き来することが困難になるとヴァルター・ランゲは監視の目を避け命がけで往来を始めます。その時彼の年齢はすでに60歳を超えていました。
1989年11月歴史が急激に動き始めます。誰も予想しなかった大きな変化の波はドイツを東西に分けていたベルリンの壁を崩壊させました。その後間もなくヴァルター・ランゲとギュンター・ブリュムラインは命がけで進めてきた計画の成果を結びます。再建計画を始めた当時をヴァルター・ランゲはこう振り返りました。「あの時は何もありませんでした。作って売れる時計もなく従業員もなく社屋も機械もありませんでした。唯一あったのはドイツ・ザクセンで世界最高の時計を作りたいという思いだけでした」と。1994年スイス時計と完全に差別化された世界最高水準の時計を発表しました。

© A.Lange & Soehne
発表会場で公開された時計は合計4本で今では代表作となったランゲ1(Lange1)をはじめザクソニア(Saxonia)、アルカーデ(Arkade)、トゥールビヨン・プール・ル・メリット(Tourbillon Pour le Mérite)が主役でした。スイス時計と差別化されたドイツ時計ならではの独創性とディテール、そして復活というドラマチックなストーリーのおかげで急速にハイエンドブランドとしての地位を確立します。眠りから覚めたドイツの巨人は新作を出すたびに高い評価と注目を集めます。数年後残念ながらギュンター・ブリュムラインが白血病で永眠しランゲ&ゾーネもリシュモングループにIWCやジャガー・ルクルトと共に売却されましたがその美しさは色褪せていませんでした。一人残ったヴァルター・ランゲとランゲ家がしっかりとブランドを支えていたからです。

ランゲ1、1815、ダトグラフ © A.Lange & Soehne
ランゲ&ゾーネは広告を含め公式な時計写真に登場する時計は全て1時52分を指しています。スイス時計が10時8分頃を指すのとは全く異なる時刻を示しています。この点からもランゲ&ゾーネがドイツ時計の頂点としてどれほどスイス時計との差別化を図ろうとしているかが分かります。実際ランゲ&ゾーネは新しい試みと独自の様式で完璧な復活を遂げました。
ランゲ&ゾーネ復活の立役者といえば間違いなくランゲ1でしょう。スイス時計との差別化への努力と世界最高水準の時計を作るための努力が込められています。
グラスヒュッテが位置するザクセン州の州都ドレスデンはドイツ東部の文化・科学・技術の中心地でした。そのため多くの歴史的遺産が残りゼンパー(Semper)オペラハウスもその一つです。オペラハウスには俳優が時間を確認しやすいように考案されたデジタル表示の5分時計があります。これにヒントを得てビッグデイトメカニズムを開発しランゲ1に採用しました。大きな2つの窓で十の位と一の位の数字をデジタル方式の日付で表示し多くのスイスブランドに影響を与えました。

ランゲ1 192.032 © A.Lange & Soehne
また時分針の領域を額縁の中の額縁のように構成した
ダイヤルもランゲ1の差別化されたディテールです。コレクションの中心モデルとなったランゲ1は独自のレイアウトを基にムーンフェイズやワールドタイムなど多様な機能を展開しています。

Lange 1 191.032
38.5mm、シルバー


Lange 1 191.039
38.5mm、シルバー

ザクセンはランゲ&ゾーネが始まった地であり古くからドイツの技術分野で先駆的な役割を果たしてきた場所です。ここに由来してコレクション名となりました。

ランゲ ザクソニア シン 205.086 © A.Lange & Soehne

ランゲ ザクソニア コレクション © A.Lange & Soehne
非常に薄いシン(Thin)ウォッチはシンプルな機能のため技術力の集約という印象はありませんが薄く時計を作るにはノウハウと精巧な技術が求められます。ザクソニアにはこのようなシンウォッチから非常に複雑なダブルスプリット(独立カウント機能を強化したスプリットセコンドクロノグラフ)、トリプルスプリット(独立カウント機能をさらに強化したスプリットセコンドクロノグラフ)、パーペチュアルカレンダーのようなコンプリケーションに31日に及ぶウルトラロングパワーリザーブまでドイツ時計の技術力を伝えています。

Saxonia Thin 201.027
37mm、シルバー


Saxonia Thin 201.033
37mm、シルバー

創業者フェルディナント・アドルフ・ランゲが生まれた1815年から名付けられた1815コレクションは独創的で個性的なランゲ1コレクションとは異なり最高の視認性を重視しました。

ランゲ 1815 235.032 © A.Lange & Soehne
ダイヤルのレイルウェイミニッツインデックスと手書きのようなアラビア数字インデックスが1815コレクションの特徴です。時分秒針だけを持つシンプルなタイムオンリーでジャーマンウォッチメイキングの純粋さを示すモデルからアルファベットC字型のドイツ式パワーリザーブインジケーターやシンプルな構成のアニュアルカレンダー、クロノグラフ、スプリットセコンドクロノグラフ、トゥールビヨンまで多彩な機能をシンプルなデザインで表現しています。

1815 Up/Down 234.032
39mm、シルバー


1815 235.026
38.5mm、シルバー

A. Lange & Söhne の日本語表記は原則として「A.ランゲ&ゾーネ」ですがブランドの韓国公式表記に従い「ランゲ&ゾーネ」と記載しました。
Felix
ライター
時計コラムニスト